今はまだ、このままで
さほど広くはないバルコニーに出て、深呼吸。
部屋の中の住人達はまだテイトが外に出たことに気づいていないが、あれだけ騒いでいれば気がつかなくても当然かもしれない。
その中にさっきまで自分も居たのが不思議に思えるほど、屋外は静かだ。
昼間は騒がしかった風の流れもその音を止めて、火照った体には丁度いい微風を送ってくる。
手すりにもたれ掛かって外を見れば、どの家の窓からも灯りが洩れ、新しい年への浮くような気持ちを家族と共に共有しているのが判った。
「テイト?」
普段から慣れ親しんだ声に呼ばれ、顔だけ向けると、短い髪を揺らして首をかしげる親友の姿が見える。
違うのは、それが軍士官学校の制服でも支給品のパジャマでもなく、ハイネックのセーターにズボンという出で立ちであるということだろうか。
自分も似たような服を着ている。
ミカゲはテイトの顔を確認すると、不思議そうにしていた顔を笑顔に変えテイトの横に並んだ。
「なーに一人でたそがれてるんだよ。そんなに学校の寮が恋しいのか?」
「別にたそがれてなんかいない。…つかさ、なんでお前もう酒臭いの。」
テイトと同じように手すりにもたれ、頬杖をついてこちらを見るミカゲの頬には、熱気に当てられただけではない紅潮が見える。
顔を顰めて聞いてくる友人に、ミカゲは笑顔のまま。
「今年最後のお酒をな、ちょっとだけ頂いてきちゃいました。」
妙に高揚した声で言うミカゲに、眉を顰めてテイトは更に問う。
「ちょっとって…どの位?」
「えーっとな、2、3杯くらい?」
「…。」
それが『ちょっと』の範囲内で済む量なのか、酒を嗜んだことのないテイトには判らない。
判らないが、今の平常時とはどう見ても違う顔の赤らみを見ると、範囲内からは超えている気がするんだけど。
もっとも顔が紅潮しているだけで、話し方も歩き方も普段と変わらないから、問題は無いのだろう。
むしろ瞳を細めて笑う顔がいつもの彼よりも幼く見えて、胸の鼓動を少しだけ早まらせた。
その事を気づかせまいと一息吐くと、テイトは呆れ返った声を出す。
「はぁ…ったく、新年明ける前に酔いつぶれても知らないからな。」
顔をバルコニーの外に戻し、視線だけでミカゲを捕らえて。ミカゲは変わらず顔をテイトに向けたまま、手すりの上で腕を交差させ、その上に頭を乗せる。
「このくらいで潰れるほど弱くねーよ。それに年明けるまで後五分も無いんだぜ?今からどうやって潰れろって言うんだよ。」
「まぁ…そうかも知れないけどさ。」
第一潰れても、ここには自分以外にもミカゲの世話をしてくれる彼の家族が居るのだから、一々自分が心配することも無いはずなんだけど。
年末年始、学生達は一時帰宅を許されている。
戦場に入ってからは年末年始だからと言って一時帰宅等許されるものではないが、彼らはまだ学生。
次の年からは共に居れない時を過ごすために学生の大半は帰宅してしまい、寮は閑散としてしまう。
新年を一緒に過ごす相手がいないと言ったテイトを、ミカゲは迷わず自分の家に誘いおそらく最後になるであろう家族との年明けを楽しむことにした。
そんなことをしたらまたハブられるぞ、というテイトの忠告を無視して。
自分を暖かく迎えてくれたミカゲの家族に感謝の気持ちを迎えながら、それでもテイトは思わずには居られない。
ミカゲと二人っきりで、新年を迎えたい。
できるならば、二人が出会った学校の寮の、自分達の部屋で。
髪をなびかせて行く髪を、ミカゲは瞳を閉じて受け止める。
「ん〜、冷たい。けど気持ちいい。」
本当に気持ちよさそうに、唇に曲線を描いて微笑むミカゲを、横目のままで見詰める。
格好良いわけでもない、美人だからでもない、けれど引き付けられる、ミカゲの心からの笑い顔。
何時でも彼は近くにいるのに、今日この時、隣にこの笑顔があるのが嬉しい。
テイトがこのまま時が止まればいいのにと思ったとき、静寂を消すように強めの風が吹いてきて、二人の体を冷やした。
「…っ。」
「テイト、寒いなら先に中に入れよ?」
長時間外に居た所為で先に冷えたテイトが身震いするのを、ミカゲは見逃さなかったようだ。
夢の終わりを告げる声にテイトは首を振って、自分で自分を抱くように身を強張らせながら外を見る。
「まだ…ここにいる。」
眉間に皺を寄せて寒さに耐えて。
あと二、三分もすれば年が明ける。バルコニーで二人だけの年越しを。
自分達の部屋で年越しを迎えられないのなら、せめて二人きりで。
そのためだったら、このくらいの寒さなんてことない。
そんなテイトの思いを、ミカゲは知らない。そっか、と言って顔を上げると、手すりから離れて部屋に戻ろうとする。
「じゃぁなんか、上に着るものでも―・・・テイト?」
突如引っ張られた腕に言葉と足を止められて、ミカゲは再度テイトの顔を見る。
眉を八の字にしたテイトの顔。それを見るミカゲの顔は目を見開いて驚いていて。
行かないでくれと開こうとした口を一度塞いで、テイトは無理に笑ってみせた。
「本当に、大丈夫だから。気にしなくていいぜ?」
「・・・そうか?」
「ああ。」
ただ、お前と一緒に居たいだけだから。
頭の中に浮かんだ言葉を再度心の奥底に閉じ込めて、テイトは頷く。ミカゲが善意で上着を取ってこようとしているのは判っていたが、その間に年が明けるのはゴメンだ。
アルコールが大分抜けたらしいミカゲは十字の傷の上を人差し指で掻いている。
「でもなぁ・・・そのままだと風邪ひいちまう・・あ、そか。」
ぴたり、指の動きを止めて、何事かを思い出したかのような顔をし、次にミカゲは両目を三日月形に、口元を弓なりに曲げた。
これ以上ない笑顔にテイトは思わず一歩引きそうになったが、その前にミカゲが一歩近寄って、酔いが覚めてきているとはいえまだ火照っている自身の体の中に、テイトの小さな体を収めた。
突然の幸運にテイトが驚いている間に、ミカゲが彼の背を摩りながら口を開く。
「なーんだ、こうして欲しいなら先に言ってくれよなー。」
テイトの耳元のすぐ上で、明るい声が軽やかに響く。
ミカゲの肩越しの窓の中では、そろそろカウントダウンが始まるようで、こちらの様子に気づいている人は居ない。
頬に当たる短い髪が、少しこそばゆい。
「……?テイト?」
いつもなら何か反応が返ってきそうな場面で何も言ってこなかったテイトを訝しく思い、ミカゲは顔を上げた。
そのミカゲの顔を見返して、テイトはお互いの顔が近くなっているのを自覚する。お互いとの鼻先まで、約三センチ程。
「…ちかい、な。」
「うん?確かに顔近いな。」
テイトの見詰める瞳の先では、いまいち言われた意味を理解できずに、それがどうしたと首を傾げるミカゲがいる。
遠くでカウントダウンの始まる声が聞こえる。
ミカゲが気づいて振り返ろうとした顔を、テイトは両腕を彼の首に廻して自分の方を向けさせたままにすることで阻止した。
5、という声と同時期に瞳を瞬かせたミカゲの頭を腕の力で下げさせる。
4、
「テイト、何を…。」
3、
「ミカゲ…。」
2、
困惑したままのミカゲに、目、閉じて。と小さく呟くと、
1、
テイトは踵を上げて彼と唇を合わせた。黒に彩られた長い睫を伏せて。
新年を祝う歓声が耳に届いて唇を放すと、硬直したままのミカゲにテイトは少し照れたように笑う。
「あけましておめでとう、ミカゲ。」
「…おめ・・で…っ!!」
思考が現実に追いついたミカゲの頬が、酒の所為ではない熱で紅潮する。
耳まで真っ赤にした親友を、こういう時のミカゲって可愛いな、と惚れ惚れとしていると、思い切り頬を引っ張られた。
「おまっ…お前なぁ!こういうのは彼女とか夫婦とか、恋人同士でやるものなんだぞ!?いくらオレたちが親友と言う深ーい絆で結ばれてても、これは好きな人としか、しちゃイケマセンッ!」
「…痛い。」
完全に酔いを覚ましたミカゲが、先程のキスを友人同士のじゃれ合いの延長線だと思い込んで諌めるように紡ぐ。
その言葉に聊か落胆しながらも、少しだけテイトの心は軽かった。年明け早々引かれたり拒否されるよりは断然いい。
引っ張っていた指を離したミカゲにごめんと呟いて、テイトは苦い笑いを漏らす。
ここまでしても気づいてもらえない。ミカゲはなんて鈍感なんだろう。それとも自分のやり方が悪いんだろうか。
でも、今はまだ否定されるよりは良い。ミカゲの片方の腕は、背中に回されたままだし。
自分が謝った後のミカゲの顔には、しょうがないなと書いてあるような、少しだけ眉根の下がった笑顔。
「今回だけ、な?」
「うん。」
くすくすと笑い合うと、部屋の中から二人を呼ぶ声が聞こえた。
顔を上げたミカゲが母さんだ、と呟いて体を離す。
テイトは少しだけ寂しさを感じながら、ここに居るよと声を掛けるミカゲの隣に立った。
「ミカゲ、今年も宜しくな。」
気づいたミカゲは振り向くと、歯を見せる笑い方をして肩を叩く。
「おう、こっちこそ宜しくな!親友!」
行こうぜ、と部屋へ促すミカゲに頷いて、テイトはミカゲの横を歩き出す。
『今はまだ親友のままで良い』そう思える間は今年も来年もこのままで。
横に並んで、同じ道を歩きたい。