何の音も聞こえない。そんな参謀部は滅多に無い。
仕事の話をしていたり、休憩で少し話し込んでいたり、仕事もしていないのにその話に入り込んでいる者がいたり。
それ以外でも書類を捲る音やペンを走らせる音、寝息を立てる音などで必ず音はする。但し最後の音に関しては聞こえた瞬間に硬いものが叩かれる音をさせてしまうわけだけども。
音がしないときと言ったら、会議で出払っているか、今のような仕事が終わって誰もいなくなった時で。
今、そんな中で私の声とミカゲの幼さの残る声だけが、静かな空間に音の波を立たせていた。
「変によそよそしくしたら相手も気を使うでしょう?必死でしたよ。伝える前も伝えた後も。でもそろそろ限界がきそうなんで、もう一回伝えてみようかな、なんて考えてたんです。」
「伝えて、断られたら、どうするつもりなんだ。」
もやが喉にまでかかってきたのか、発した音が搾り出すようだ。
なんだろうこれは。
私の問いかけに、曖昧に笑ってミカゲは人差し指を立てて口元に持っていった。
手袋を嵌めていない指先が薄紅色の唇の上でぴたりと止まる。
「秘密です。」
「秘密って、」
「参謀部の皆さんには迷惑かけないようにするんで。すみません。」
仕事に影響が出るからと、詰め寄ろうとしたところにミカゲが目線を伏せて謝ってきたので、私はもう何も言えなくなってしまった。
迷惑がかからないようにとか、そういう事を聞きたいんじゃなくて。
君は大丈夫なのか、とか。もっと聞かなきゃいけないことがあるんじゃないのか。
人に傷が与えないようには必死になるのに、なんでこの子は自分の傷は隠そうとするばかりなのだろう。
「・・・流石に、遅くなりすぎましたね。そろそろ戻りましょうか。」
時計を見るとミカゲは軽く私の腕を叩いて立ち上がった。
倣って時計を見ると結構な時間が経っている。思っていたよりも長く二人でいたのだなとぼんやりと秒針を眺めていたが、ふいにある思いが過ぎって気がつけばミカゲの腕を掴んでいた。
「ミカゲ。」
「はい。」
即答で返された声は、しかし目が見開いていることで条件反射で返したらしいことが判った。
「君の気持ちは、もう一度言わないと諦められないものなの?それとも、他に好きな人ができたら、その余地があったら、諦められるもの?」
「それは、判らないですけど。」
「それなら。」
ぽかんとしたままのミカゲの腕を引き、何も考えずに衝動に任せて肩を押さえ、やや半開きになっている唇に自分のそれを押し付けた。
一瞬だけ触れた唇は柔らかく、そっと瞳を開くと驚いたまま動けずにいるミカゲの琥珀の瞳と視線があった。
「・・・私を好きになればいいんじゃないか。」
こんなに至近距離で彼を見るのは私が初めてではないのだろうか。
そう思うと優越感で自然と笑顔がこぼれる。未だ驚いたままでいる彼にもう一度キスをしようとすると流石に今度は気づいたのか、私と自分の間に両腕を入れ掌を顔の前で広げる。
「ちょ。ちょっと、待ってください。何でそこでその結論!?」
「だって、私を好きになったらその傷跡も癒えるだろう。」
「それはそうかもしれませんがでも何で!?」
意味がわからないと焦るミカゲを見て、私もまた少し焦りだした。だってなんでそんな事を言ったのか自分でも上手く処理ができていないのだ。湧き上がる気持ちをそのまま伝えてしまっただけで。
ミカゲに対するものが恋愛感情なのかもよく判らない。ただ判っているのは、自分が彼をもっと知りたいと思っていることだ。
「うまくいえないけど、私は君にこうしても嫌じゃないし、もっと触れたいと思ってる。だからだって言ったら、怒るか?」
一瞬何を言われたか判らないようにぽかんとしたミカゲは、まるで張り詰めていたものが崩れていくようにすぐに顔を歪ませた。
今にも泣き出しそうな顔を私が見るよりも早く両掌で抱え込んで、慌てて伸ばした腕よりも早く一歩後ろに下がった。
「ミカゲ?」
追いついた手はミカゲの頭に触れて、すぐに離してしまった。先程は勢いでキスしてしまったが、もしかしてミカゲがそうといわなかっただけで本当は嫌だったのかもしれない。
今も少しだけ体が震えてるような気がしなくもないし。思わず手を引っ込めながら体を傾けて、そろそろと話かけてみた。
「あの・・・もしかして嫌だった?」
言った瞬間、ぶっはと盛大に息を吐き出して床に座り込んだ。
なんだ、なんなんだと思っていると、くつくつと笑い声が聞こえてきて眉が上がる。
「ミカゲ?私は真剣に言ってるんだけど。」
「ちょ、わかってるん、ですけどっ。もう無理・・・!」
つまるところ、先程から震えていたのは笑いたいのを我慢していたからなのか。我慢せずに笑い出したミカゲのつむじを眺めながら、私も少し冷静になろうと深い呼吸を繰り返す。
「一応、聞いておきたいんだけど、どのあたりがミカゲのツボをついたのか教えて欲しいな。」
「・・・って、すっごい格好よく好きになればいいって言った癖に、理由聞かれたとたん慌てるんですもんコナツさん。」
すみませんと一言謝って、中に溜めていたものを吐き出すように息を吐くとミカゲはいつも通りの柔和なまなざしを向けてきた。
「あのね、コナツさん。俺さっきのは別に嫌じゃなかったです。でも、そういうのは、ちゃんとコナツさんの気持ちが恋愛感情がそうじゃないか、それがわかってから聞かせて欲しいです。」
ゆるやかに描かれる曲線が動いて紡ぐ言葉が、確かに納得がいくことで。
自分でも行過ぎたと思い、素直に首を縦にふる。
「ああ、急にすまなかった。でも・・・。」
告白は、と言おうとしたところで、ぴっと私とミカゲの間に人差し指が立てられた。ミカゲが座り込んでいるので、真っ直ぐに伸ばした腕は丁度顔と顔の真ん中で止まっていた。
「俺も、思いを伝えるのはもうしばらく置いておきます。さっきコナツさんに他に好きな人が出来きる余地はあるのかって聞かれたときに、判らなかったんで。もし、その余地あるのなら、もう一度伝えるよりも新しく好きな人が出来たほうが、相手にとっても俺にとってもいいですからね。」
今の環境嫌いじゃないので。と顎を引いて楽しげに笑う姿にさっきの表情のない顔が被り、思わず奥歯を噛み締める。そういう顔をさせたい訳ではない、そんな風に隠して欲しいわけじゃないと。
叫びたい気持ちを言うべきか判らずにすっかりペンだこが出来た指を見ていた。
指先はやがてゆっくりと方向をずらし、空を舞う。
やがてたどり着いた左の拳に五本の指で触れると、私がその事実に気づく前にその手を包むように握り締めた。
「でもねコナツさん、今のままだったらやっぱすぐに限界来ちゃうかもしれないんで、少しだけ、慰めてもらってもいいですか?」
「いいけど、どうやって。」
そこまで言って、左手に力を加えられとっさに力を入れ踏みとどまる。私の拳を支点にして立ち上がったミカゲの顔が視覚一杯に広がったと感じた瞬間、自分よりもやや高い体温が上半身に圧し掛かった。
「少しだけ、こうしててください。」
胸元に顔を埋めて、肩を握り締めてくる手に私はできるだけそっと掌を重ねた。抱きしめたほうがいいのかもしれないけれど、そうすれば彼が逃げてしまいそうで出来なかった。
少し逸る心臓の音が聞こえませんように、そんな事を考えながら、きっと今も泣き出しそうな顔をしている彼の髪に少しだけ唇を触れた。