見上げた先の君を、




真っ直ぐに伸びる道に入ってすぐに、ふと襲い掛かってきた感覚にハンドルを強く握る。
ゆっくりと端に移動して車を止めると、いなした感情がぶり返してくる。
落ち着かせるためにゆっくりと息を吐いて窓の外を眺めるが、落ち着くどころか余計に波が気持ちを侵食していくのを感じた。

瞼をわざとつよく閉じて、左手で顔を覆うと、息を吐くと言うには言い訳がましい深い息が漏れる。
表に出している『自分』らしくない、難しい表情をしていることは鏡を見なくても容易に想像できた。
ここが自分の運転している車で、一人きりという状態に助けられた。

らしくない理由は分かっている。だが、それを言葉にすることは認めたくない感情を認めることになるわけで。


「さっき別れたばっかだろ。」


戒めに近い自問をあえて呟くが、潮騒のようによせては満ちていく思いには勝てなかったようで、それでも声が聞きたいのだとささやく胸中に、自分はいつからこんなに女々しくなったのかと頭を抱えた。

たった5分前、家まで送り帰したばかりだ。向こうは明日早朝から仕事だと言っていた。
仕事詰めになっている事を考えれば電話も直接会いに行くのも避けたほうがいい。
だというのに、胸のうちに燻るよわいものはもう少しだけ、と子供のように駄々をこねる。
こういう時は以前買ったCDで紛らわそうとしても余計に思いを募らせるだけだと良く知っているため、少しだけ冷たい窓で額の熱を逃して落ち着くのを待った。


ランランのばか。
実際には蘭丸は悪いわけではなく、決めあぐねている自分が悪いのはよく分かっている。
だが、こんな気持ちだって蘭丸から仕掛けてこなければ、自分ですら気付かないようにうまく工作することができたことを考えると、少しくらいは八つ当たりしたくなってしまうものだ。
最も、本人に言うつもりのないことで実際に八つ当たりなどできるはずがないから、一人きりで吐き出す。
いつもの「寿嶺二」が、例えば他人からこんなことを聞かれたら、もしくはラジオのおたよりコーナーでの、悩み相談の一端だったら、「八つ当たりし放題じゃん!やったね!」なんて言っているだろうが、なまじ自分の事なので茶化すことが出来ない。
それは無意識で相手に甘えている証拠だ。
なんでも許してくれると勝手に思って、依存していく。
そんな甘えを許してはいけない。

基本的にはソロでの活動が多いとはいえ、QUARTETNIGHTとして同じグループの中にいる人間に甘えるのは良くない。
少なくとも、依存のような形を成してしまっては仕事にも支障を出す可能性がある。
仕事仲間として、あるいは友人として甘えられる一線を越えてしまっている。

もっともその一線を越えようとしたのは蘭丸からなのだが、嶺二はその時、それをアルコールのせいにした。
二人とも正気を失うような飲み方などしておらず、嶺二に関してだけ言えばほぼ素面に近い状態だったにも関わらず逃げたのだ。
蘭丸もその日はそれ以上言及することはなかったが、それ以来蘭丸から接触する事が増えてきた。
それは馬鹿みたいな冗談を言った時に小突かれる回数だったり、仕事の話をする時の距離が近くなっていたり、なんでも無いことで電話してきたり・・・電話がかかってきた時は本当に何があったのかと思った。
ああ、彼は本気なんだと気付くのにそう時間はかからなかったけど、冗談にしたことに何かを察したのか、言葉で口にしてくることは無かった。
言葉、では。

ずっとハンドルを握ったままだった右手でそこを覆うと、ついさっきのキスの感触が蘇ってくる。左腕の、手首より少し下。
あまり冷房を利かせていないぬるい車内に、いつもより暖かった腕と、腕より熱く感じた唇。
いつもの通り送ってじゃあまたね、と軽く言うつもりだった嶺二に唇と同じ熱さの視線をむけて、腕に吐息が掛かる距離で蘭丸の視線がふっと緩む。
結局そのまま、その行為には触れずじゃあなと言って車を出た蘭丸に、何も言うことができず車を走らせた。

知らないふりをし続けてきた結果は、今になって会いたいと想う気持ちになって現れている。
こんな気持ち、独りでいれば気付かなかったのに、蘭丸が気付かせた。
少しせつなく胸を打つ気持ちを、歌として歌うそれと呼ぶのだとは、それでもなかなか認めることが出来ない。
もしくは自分以外の誰かに指摘でもされたいのだろうか。それは、そう、だと。
だけれどもし、そうだと言われたら。

不意に着信が鳴り、思わず肩が跳ねて時計を見ると、車を止めてから30分は経っている。


「うそん」


自身の体感では5分もたっていないのにと、頬を引き攣らせる。
とりあえず電話には出なければと、のろのろと後部座席に投げていた鞄から携帯を取り出すと、着信には「黒崎蘭丸」と表示がある。
思わず目を見開いてまじまじと見つめた後、思い出したかのように慌てて電話を取った。


「おつかれちゃん。ランランどうしたのー?車に忘れ物でもした?」


心の震えを隠していつも通りの自分を演じる。
慌ててとったということも悟られないように、テンポを崩さず声を出すが、携帯を耳に当てている右手とは反対の手が、いつの間にか胸に置かれ心臓のリズムが少しだけ崩れていることを伝えている。

嶺二。名前を読んだ声になあにと笑みを浮かべて続きを待ってみるが、待ってみても次の声が届かない。
もう一度、どうしたのと声をかけてみるが歯切れの悪い声が短く鳴っただけだ。

はて、と頭に疑問符を浮かべ顔を傾げて蘭丸が何故電話してきたのかを考える。
分かれた直後に電話をしてきたのは初めてだが、なんでもない電話をしてくるときもある程度蘭丸は会話を用意した上で連絡をしてくる。
それが今日に限っては言うべきことを迷ったような声で。
先ほどの行為を思い出し、嶺二はいっそこのまま切ってしまったほうがいいんじゃないかと思えてきた。
これ以上のおもいを聞いてはいけなんじゃないだろうか。


「ラーンラン、用がないなら早く寝たほうがいいんじゃない?明日早いってさっき言ってたでしょ。」


いつの間にか心臓の音が聞こえなくなっている、と窓に映る自分を見ると右手はいつの間にか心臓ではなく車を出る間際に蘭丸が唇で触れてきた箇所をさすっていた。
左手で携帯を持っているため顔に近づいていた筈だが、まったく気付かずに無意識にそこを触っていた事実に息がつまりそうになる。
それが声に出なかったのはひとえに今まで養ってきたものの成果だろう。


「嶺二」
「うん?」


意識的に手を放してハンドルの淵をなぞる。自分の名を呼ぶ時の低い音に、そういえば声が聴きたいと思っていたのだと漸く思い出した。
そもそも始まりはそこだ。何故忘れていたのだろうか。


「悪い、声が聴きたかったんだ。もう寝る。」


電話越しに伝わるくぐもった音が、自分の考えていたことを言葉にしたのかと思った。
言われた言葉にうまく反応が返せず、一瞬言葉がつまる。


「嶺二?」
「何で。」


戸惑ったような声と、非難するような嶺二の声はほぼ同時に発せられた。次の言葉は、嶺二のほうが早かった。


「なんでもないよん。もー、ランランってば明日も一緒の収録あるのに、我慢足らなすぎ!」


なんで同じことを、と言いそうになって直前で言葉を変える。
気付かれてはいけない気がした、そうすれば何かが変わってしまう。
ぎゅうと胸が締め付けられるような気がしたが、それはいらないものだ。
知らないふりをして、寿嶺二を演じろ。


「そんなに寂しいっていうなら、子守唄でも聞かせあげよーか?」
「ああ、頼む」
「…わー、素直すぎるランランにお兄さんびっくりなんだけど。さっき何か悪い物でも食べたのならぼくちんも気を付けたほうがいいかな」


右手はハンドルを強く握り過ぎている。
電話を出る時のくせでわずかに上げていた顔は、今はその手の甲に額を預けている。
内から湧き上がる感情とない脳をフル回転させているせいか若干熱があるようだった。
早く電話を切らなくちゃ。
他の人なら簡単にあしらえるのに蘭丸だとこうも上手くいかない。


「悪いもんなんか、食ってねえよ」


些か苛ついたような声は何に対してのものだろうか。
よくよく聞いているとその声には少し眠気が混ざっている気がした。普段よりも少しだけ舌ったらずで、低い。
大人しく眠ってくれたらいいのに。そう願っているのに、蘭丸は気にせずに続ける。


「前に言ったろ。好きだって」
「酔っぱらって誰かと間違えたのかと」
「んな訳ねえだろ。第一俺もお前もほとんど飲んでなかっただろうが。なあ、嶺二」


普段なら怒りそうなところで怒らないのは何故だろうか。ぼんやりとした頭で携帯に耳を傾ける。
聞きたいと思っていた声は優しすぎて、その声に心が埋め尽くされそうで。
ほんとうに、やめてほしい。


「待ってるから、もっと寄りかかって来いよ」
「何、を」
「さあな…おやすみ。よく寝ろよ」


弱い部分を見透かされたような言葉に動揺しているうちに、通話は一方的に切られた。
甘えていいと言われたのは分かった。けれどそれは依存だ。嶺二が落ちていく時はきっと蘭丸も引きずり込んでしまう。
そんな風に考えている事も見透かされたような「待っている」が、嶺二を動けなくさせている。
甘やかされたい。甘えたくない。


開いたままの携帯を握りしめて、もう一度火照りを鎮めるために窓に頬を寄せる。
一台も通る様子のない事に安堵して、そっと息を吐いた。


「君のことを好きにさせないでよ、ランラン」


空では、掴みたくなるような月が浮かんでいる。