花咲く嶺二




注意?
・藍春・カミュ→?が紛れています。
・若干那嶺・蘭那っぽい表現があります。
・藍と蘭丸のキャラ崩壊が著しいです。














 花咲く男子、が今回のコンセプトらしい。

「正直言うなら、花を添えるならアイアイのが似合うだろうし、男らしい画が欲しいならランランでしょって思わなくもなかったんだけど、せっかく指名してくれたんなら頑張らないといけないかなって」

 そういってさくらいろに頬を染めた顔に、思わずいつ撮影するのか聞いていた。





 聞いていた時間より遅れて中に入ると、見知った顔を見つけ、相手がその場所にいる違和感に思わず秀麗な顔を歪ませた。

「…なんでランマルがここにいるの。」

 驚いたのは相手も同じで、話しかけられるまで藍が来たことに気づいていなかったのか、ぎょっと目を見開き遠慮のない目で藍を上から下まで見直す。

「藍も来たのか?」
「どういう意味」

 呟いた言葉に違和感を感じて問い詰めると、藍の歪められた眉が移ったように蘭丸もまた眉間にしわを寄せて、あごで自分たちのいる所とは別の方向を指し、すぐに視線をフラッシュの中に戻す。
 ことりと小顔を傾けて顎で示された先を見ると、またも予想だにしていなかった人物が嶺二を眺めている事に気付いて、なんで、とおもわず口に出していた。

「…なんでカミュまでいるの」
「知らねえ」

返ってくるとは思わなかった声に振り返れば少し苛ついたように組んだ手の人差し指で二の腕を叩いていた。
視線は絡むことはない、藍だって別にそれを望んでいるわけじゃないので、蘭丸の隣に並んでカメラの向こう側を見る。

最初に見えたのは、投げ出された腕と横たえられた体。
薔薇の花びらを絨毯のように円方形に敷き詰めた上に身を投げ出して、黒で統一された衣装は少しサイズの大きいものなのか、立てた片足からは指先しか見えない。
鴉色のシャツは肌蹴けられ、腹の上でボタン二つ分が申し訳程度に止められている。露出させた肩の上に花弁が1つ、何かの印のように落ちていて、手に持った一輪の薔薇で片目を隠すようにしていた嶺二が、その弁の先にそっと口を付けた。
大きく感情豊かに動く瞳が、カメラから花弁へと視線を移す間に静かに伏せられていく様が普段の様子からかけ離れているせいか、藍は思わず一度そこから視線を逸らして、そんな事をする必要はないのだと考え直して戻した。髪型はいつと違い、前髪が後ろに流されて、普段は隠れいる額が露になっている。
一筋だけ前に落としているのはわざとなのだろうか、それとも花弁が肩から落ちていくのを危惧しているのか、邪魔になるそれは払われずそのままだ。

「…花咲く男子、がコンセプトなんじゃないの?」
「これは目から花を咲かせてるってイメージらしいぞ」

 視線を放せないまま再度疑問を口にすると、また丁寧に返事が返ってきた。確かに嶺二が片目を隠すように、短い茎を指で押さえて持っている薔薇は、三脚を使って上から撮っているカメラからするとまるで目から生えているように見えるだろう。

 これは、ということは、他にも別の場所から咲かせるような形で撮っていたのだろうか。確か時間がかかると言っていたから何枚も撮るのかもしれない。できれば全部見たいと思っていたけれど厳しそうだと思っている間に、撮影が一旦休憩に入る合図がした。
 ぱちりと瞬きをした嶺二が起き上がり、カメラマンと一言二言声を掛け合ったあと、ひょいと立ち上がって藍達に近寄ってくる。

「ランラン!アイアイ!どうしたのー、見学に来るなんて。ミューちゃんもいるし今日は天気雨でも降るかな?」

 そう言ってカミュにも手を振っている姿は、先ほどまで赤い花の中で憂いに満ちた表情をしていた人物とは到底思えない程、明るく人懐っこい笑顔を浮かべた。
 長年培ってきたものを見せつけられているような心地にさせられて、藍は胸の奥が少しだけ重くなった気がする。
 何でこんな風になるのか不思議だ。また博士に聞いてみよう。

「不思議なコンセプトで撮るみたいだから、気になって。それにキャンスティングも面白そうだったしね」
「そうだねえ。ぼくも最初はどうなるかと思ってたけど、うまくやれてるみたいでよかったよ」

 ふにゃりと顔を破顔させて微笑む様子に少しだけ驚く。普段ならスタッフもいる前ではここまで気の抜けた表情はしないはずだけれど、花の匂いに当たれてでもしたのだろうかと首を傾けた。
 嶺二もそんな藍の様子に気が付いたのか、手に持ったままだった茎の短い薔薇の花を両手で抱えて、撮影の為にとマスカラで少し強調された目を瞬かせて首を傾ける。
 大きな目をさらに大きくさせて、見上げられると相手は見知った同僚である筈なのに違う人のように思える、と、突然横から伸びた手が嶺二の髪を乱した。

「う、わっ、ちょっとあんまり乱さないでよランラン!」
「お前ちょっと黙れ」

 蘭丸の手を止めようとする嶺二を無視して勢いのままに髪を散らすと、寝そべっている間に嶺二の髪の中に入り込んでいたらしい花弁がはらはらと落ちていく。最後に蘭丸がすっと手を下して襟足を撫でると、手に一枚だけ花弁を残していた。

「ついてた。たくさん」

 それを指先でつまんだ蘭丸が嶺二の前に差し出すと、先ほどまで髪を乱されていたことにむくれていたはずの顔が、ぱっと頬を染めてゆっくりと顔に喜色を乗せていく。

「そっか。ありがとランラン」

 それこそ蕾が開いたように笑った嶺二は片手で蘭丸が持っている花弁を両手で受け取って、とても大切なものをしまうかのように胸ポケットの中に収めた。花弁を見つめる嶺二の目が宝物を見つけた子供のようで、しばらく目が離せないでいると後ろから強い衝撃と共に抱きしめられる。

「あいちゃん!来てくれたんですね」

 こんな風に話す人間は一人しかいないと顔を上げると、金色の髪をふわふわとさせたまま笑いかけてくる後輩の顔が見え、遠慮なく抱きしめてくる腕を軽くたたいて苦しいと意思表示をする。
 すぐに離れた腕に、少し大げさに息をついて振り返ると、那月が背を丸めて大きな体を白い衣服に包んだ体をちぢこませていた。

「…そんなに怒ってないから」

 思わずといった態で呟くと、那月は安心したのか胸に手を当ててほっと息をついて、改めておはようございますと礼をする。

「丸ちゃん先輩も、おはようございます」
「おう」

 きちんとお辞儀をして挨拶をする那月に対し、憮然とした表情で軽く頭を下げた蘭丸はふと那月を見上げて感嘆の息をついた。

「すげえな、それ」

 すごい、と蘭丸が言ったのは那月の頭を飾る花々だ。左側頭部から後ろに向かって金色の髪が編み込みにされており、その中に多弁の白い花が咲いたように一緒に編まれている。知らない花だと画像検索を掛けてみると、すぐに引っかかる結果。

「ラナンキュラス?ナツキはウエディングブーケにでもなるの?」
「良く使われるお花さんらしいですね。スタイリストさんにお聞きしました。あいちゃんは物知りさんです!」

 頭の四分の一を花畑にした大きな子供が嬉しそうに笑った。ぱっと花が咲いたように笑う那月を見て、藍は今回の二人の人選は間違いじゃなかったんだろう。二人が笑うと、そこに花が咲くから。
 ただそんな事言ったら一人は確実に調子に乗るかおどけてみせるので口には出さないでいる。

「このくらい普通でしょ」
「んなわけあるかよ」
「でも、これ綺麗に編み込まれているよね。なっつんよく似合ってるよ」

 蘭丸と藍の間をすり抜けて嶺二が那月の前へと躍るような足取りで近づいた。自分よりもサイズの大きい動きにくいものを着ているというのに、その動きは軽やかだ。花のない右側へ手を伸ばすと、シャツがずれ腕が露わになる。
 その手で頭を緩くなでて、くるりと藍たちを振り返った。

「じゃ、ぼくも着替えに行ってくる。なっつん、後でね!」
「はーい!行ってらっしゃい」

 一緒に仕事している人たちを待たせるのが好きではないのは知っているが、嶺二らしくない早い退場に那月と一緒に手を振っていると那月が嶺二も髪から花を咲かせるイメージで編み込ませるため、準備に手間がかかるのだと言った。

「そうなんだ。撮影大変だね」
「お花さんの調子も考えて朝早くから撮影も始まっていましたから。でもスタジオの準備が終わったら、後は僕一人の撮影と、れいちゃん先輩と一緒に撮ったらおしまいなので、大丈夫です!」

 嬉しそうに両手にこぶしをつくってガッツポーズを取る後輩の姿に、藍は少しだけ頬を緩める。




*****




 白いシーツが被せられたソファーの上に、色とりどりの花と共に那月がうつ伏せになって横たわっている。すべて品種が違うだけで、同じラナンキュラスという花だと言ったのは藍だ。
 あんな女が好みそうな花を散りばめられるなんて自分には我慢できそうにない。つくづく自分に声がかからなくて良かったと壁に背を預けて息をつく。
 隣には先ほどから那月を眺めている藍。さらに藍の隣にはいつの間にか移動していたのかカミュが同じように立っている。いくら映像ではないとはいえ、こちらで話をしていれば撮影の邪魔になるので三人ともにまったくと言っていいほど会話をしていない。
 嶺二がいなければ、基本的に自分たち三人は静かだ。

「ランマル」

 名前を呼ばれて蘭丸は目線だけ隣へ向けた。藍もまた視線だけこちらの向けてる状態で話しかけてきている。

「何だ」
「ランマルとレイジは恋人同士なの?」

 唐突な問いに蘭丸は思わず眉をしかめた。そんな事を聞いてきたのは藍が初めてだ。
 藍の隣でカミュがひとつ咳払いをしたので、藍の問いに戸惑ったのは自分だけではないようだ。

「いきなりどうした」
「同性同士なのに恋人かって聞かれた事には無反応なんだね。それは別にいいんだけど、ちょっとさっきのレイジが気になって」

 藍に指摘された事に今更気付き軽く舌打ちをする。一般的に考えたら同じ男同士で恋人かと聞かれたら真っ先に否定が入るだろう。突然だからと言ってやってはいけないミスに頭を抱えたくなる。

「で?どうなの?」

 答えない蘭丸にしびれを切らしたのか、再度問いかけてくる声に呻き指先から手のひらで顎を撫でた。
 先ほどの嶺二は、渡された花弁に頬を染め、柔らかく笑っていた。普段スタッフやメンバーに向けるアイドルスマイルとは違う笑みを見れば、不思議に思うのも仕方がないのかもしれない。

「まあ、そういうものではあるんだろうな」
「妙な言い方をするね。気持ちを伝えてないの?」
「伝えてねえけど。判っちゃいるな」
「…よく、わからない」

 疑問を目に宿して見上げてくる藍に、蘭丸もまた眉間の皺を濃くする。カミュがまた咳払いをした。
 嶺二と自分の関係は、まだ言葉に出来ないというのが正直な気持ちだ。
 好きあってはいる。それは確かだ。蘭丸から言おうとして両手で口を塞がれ、ぼくから言わせてほしいと潤む瞳で見上げられたのはごく最近のことだ。残念ながらその言葉はまだ聞けていないが、触れる指先と見つめてくる視線が十二分に物語っていた。

「あいつは、言葉を待つより態度を見たほうが判りやすいんだよ」

 ここまで言って、ここがスタッフの多数いるスタジオの中だということを思い出した。じゃまにならないように出来る限り最小限の声で話をしているとはいえ、万が一こんな話を聞かれていたら困る。
 話を打ち切るように視線をフラッシュの中に戻して少し離れると、藍も気付いたのかため息を一つ吐いて前に視線を戻した。
 那月は仰向けに方向を変えて、小さく作られた花束を口元に添え微笑んでいる。

 簡単に話を聞いた限りでは、嶺二と那月では使用する花を替えると言っていた。
 先ほど嶺二の髪に紛れ込んでいた花弁は生花だった。おそらく今那月の周りにあるものも全て生花なのだろう。那月が花を一つだけ取り花弁の中心に口付けると、シャッター音が何度も鳴り響いた。

 嶺二もあんな風に口付けるのだろうかとらしくもなく考えると、胸のもやのようなわだかまりが生まれる。たかが花程度に嫉妬するなんて。

「なっつん似合うねえ」
「そうか?…ってお前いつから」
「さっき戻って来たんだよん」

 反射的に返してしまってから横を見ると、嶺二もまた那月と同じ白のシャツとパンツに着替えていた。先ほど同じように少し大きめの服となっており、襟元と両手足の袖口には光沢のある緑のリボンがゆるく巻かれている。
 結んだリボンの端を指先で軽くいじり、体をこちらに向けたまま那月を見る目はよく音也やトキヤに向けているものと同じ温度だ。嶺二は他の3人よりも、マスターコースで教えた後輩をわかりやすく大切にしているが、おそらく以前の舞台を通して那月も彼らと同じ所に据えたらしい。

 嶺二もまた、那月のように花を髪に編み込んでくるのかと思っていたが、嶺二の髪は髪型を変え先ほどより強く毛先が丸められているだけで、花の装飾は施されていない。
 柔らかく触り心地が良いのを知っている手か、髪に触れたくなるのを堪えて動きかけた腕を止めると、嶺二がこちらを見て笑った。

「さっきみたいにぐしゃぐしゃにしないでね、髪。…ぼくも向こうでセットするのかと思ってたんだけど、花が大きいのと動きにくくなるからってこっちでつけるみたいだよ。ランラン今日のお仕事の予定は?」
「まいらすの収録だけだな」
「一緒かー。じゃあ一緒にお昼ご飯食べよう。アイアイとミューちゃんは?」
「ボクは時間が差し迫ってるからもう行くよ。最後まで見れないのは残念だけど」
「そうなんだ、残念。この撮影に使ったお花、いくつか貰えるって話だったから、アイアイから後輩ちゃんに渡してもらおうと思ってたのに」
「そうなんだ?ならレイジが直接渡したらいいじゃない」
「アイアイから後輩ちゃんに渡すことが重要なんだよ。わからない?」
「…それ、さっきの、花びらのようなものなの?」
「そうだよ」

 藍からしたらカマでもかけてみたのだろうが、嶺二がなんのてらいもなく表情を緩ませて返したので、いたたまれなくなって視線を壁にやった。いつものアイドル顔はどこにやったんだと聞きたくなるくらい今日の嶺二は自分に正直だ。この、スタジオに満ちた甘い花の香りがそうさせているのだろうか。
 匂いの発生源を辿ると、そこには大輪を咲かせる白い花が用意されていた。しかもかなりの数だ。
 嶺二もそれに気付いたのか、ああ、もう行かなきゃと口走っている。

「ミューちゃんも何かあるの?」
「ああ、あと少ししたら出ていく。食事は二人でとるがいい」
「りょーかい、二人とも頑張って!ランランはまた後でね」

 音が鳴りそうなほど綺麗なウインクを決めて、嶺二は百合が並び始めた場所へと向かっていった。嶺二の歩く動作に合わせてリボンがたゆたう。ここにいるだけでもかなり匂っているのに、あの中に飛び込もうとするなんてどうかしていると思ったら、匂いにむせていた。

「…レイジとランマルが、お互いを愛しているのはわかったよ」

 まわりの喧騒に隠れるような声で、藍がそっと呟いた。
 無表情の中にも何かつきものが落ちたような顔をしているのが妙に恥ずかしいが、それはおくびにも出さずに少し不機嫌な声を掛ける。

「お前、もう行かないといけないんじゃないのか」
「行くよ、ナツキによろしく。ああ、あとレイジにも」

 言いそびれちゃったからねと一言添えて、藍は蘭丸とカミュに手を振ってスタジオを出ていく。途中すれ違ったADにお礼をして扉を閉めたのを確認すると、思わずため息が漏れた。

「緊張でもしていたか」
「少しな」

 同意するのは気がひけたが、見学に来たスタジオで口喧嘩をするわけにもいかない。諦めて同意するとほう、とそれは愉しそうな声が聞こえたのでやっぱり同意するんじゃなかったと今日一番の皺を眉間に浮かべる。

「嶺二には言うなよ」
「わざわざ惚気をきかされるような真似はせん。一度寿にお前の事を聞いた時は耳が腐るかと思ったぞ」
「お前アイツに何聞こうと…いや、いい、言うな」

 口を開きかけたカミュが先ほどよりも余程面白そうな顔をしていたのを見て、蘭丸は手を上げて押しとどめた。

 嶺二が鏡の前に座ると、早速スタイリストが花を持って髪を弄りだした。あれだけ大きな花だから、てっきり一輪だけかと思っていたのだが、スタイリストの女は近くに鉄砲百合と、それより少し小さい種類の百合を置いて、ワイヤーを使って嶺二の髪に花を添えていく。
 那月と同じように頭の約半分を花で埋めるのだろうか。
 それでは本当にウエディングブーケのようだと軽く息を吐く。

「美風が居ない間の事を聞いた」

 頭の上に乗るのかと思っていた白い群生は、丁度蘭丸が見える右耳の後ろから左側に向かって、髪を巻き込みながら下げて行っている。遠目からも、普段はみることのかなわない、嶺二の日に焼けていないうなじが晒されているのに気付いたが、それもすぐに湾曲した花弁によって隠されてしまった。

「苦労をしているようだな」
「うるせえ。お前なんでここに来た」

 笑いを堪えているようだが声が震えているせいで意味のない同僚に視線をやって、食い入るように見ていた場所から視線を外す。案の定、口に手を当てて肩を震わせていたので、顔を背けていてもカミュが相当に面白がっている事が判る。

「正式に付き合ってはいないが、好き合ってはいる、か。美風は愛と言っていたが、確かにその通りだな」
「どういう意味だよ」
「互いが互いの心を受け取っている。だからだろう、最近の寿がやけに安定しているのは」

 くつくつと笑い続けるカミュの横顔は、思っているよりは面白がっているわけではないようだった。安心している、とでも言えばいいのか。
 カミュもまた、藍が急に消えたときの嶺二を一部なりとも見ているのだから、言ってきても間違いはないのだが、まるですべてを見透かすような眼で言われるのは少し気分が悪い。
 結局はそれは自分の中にある子供じみた感情から来るものだから口には出さないでいたが、代わりにため息を一つ溢した。

「れいちゃん先輩、お花さんみたいにとおってもかわいいですー!」

 突如聞こえてきた歓声に再び視線を向けると同時に、那月はかわいいの表現を間違えているとこの時ばかりは思った。
 えりあしを隠した花は、右耳のすぐ下の首だけを見えるようにして後は首全体を覆うように嶺二を飾っている。次のコンセプトが髪の毛から花を生むものだとようやく合点がいったのは、下に下がっていった花が肩の下、胸元まで伸びており、髪の毛が途中から白い花に代わり左側にながされているようだと思ってからだ。

「幸せが過ぎて死にそう、なんだとさ」

 那月の方は一旦撮影が止まったらしい。花で首元が固定されて動きにくい嶺二に代わり那月が近づいて話しかけて言っている。その間にソファーの上では藍がラナンキュラスと言っていた花が移動され、空いた場所に嶺二の髪になっている二種の百合の花が散らされていった。

「もっと大きな幸せが来たら本当に死んじまう、なんて言われたら簡単に先になんて進めねえのな。あいつ、恋人って言葉だけで恥ずかしがって逃げようとするんだぞ。」

 普段スキンシップの激しい嶺二が、二人きりでいる時に名前を呼ぶだけで頬を染めて視線を彷徨わせるとは誰も思わないだろう。薄紅色に染まった耳に触れるだけで、緊張に体をこわばらせるのは幸せを享受するのに慣れていないからだとは。
 だからなのだろう、もっと、先の幸福を二人で見たいと思ってしまう。

「那月さん、寿さん準備お願いします!」

 声が響いて、花を咲かせた二人が移動を始めた。嶺二は首もとを動かさないように、花に刺激が行かないようにゆっくりと歩いている。 スタイリストが横からついているのもそのせいだろう。
 二人はそれぞれソファーの端に座って、背もたれと膝掛けの間に背中を預けるようにした。
 丁度今蘭丸たちから見れば嶺二の全景がほぼ正面から見える位置になる。
 嶺二もこちらがわに気付いて視線が合う。真っ白な中に、ロイヤルブラウンの髪と決して白くは無い、だが黒くもない整えられた肌はやけにはっきりと見える。目線が絡んだことで目元を緩ませた嶺二が、軽く首を傾けて蘭丸に向けて片目だけを閉じ、似合う?と小さく口を動かす。さっきもしていたが、同業者としては羨ましい程にウインクの上手い男だと思い、こちらは遠慮せずハッキリと口を動かしてばーかと言って両肩をそっと持ち上げて笑った。

「やってられんな」

 聞こえてきた隣の声に、視線だけ向けると、胃もたれを起こしたような顔をしたカミュが緩く横に首を振って金糸の髪を散らす。
 何がだと視線だけで問うが、カミュの眉間の皺はとれないまま。

「貴様ら本当に何もないのか。案外、手を出してみれば平気かもしれんぞ?」
「何もねえし一回手を出そうとしたら過呼吸起こしたよアイツは」
「…苦労をしているな」
「てめえに情けをかけられたくねえ」

 二度目の言葉と共に次第に憐れむような視線を向け始めたカミュに嫌気がさして嶺二に視線を戻すと、カメラマンが何か言っているらしく先ほどまでの柔らかい印象を消して、那月と共に真剣に耳を傾けている。
 ソファの後ろから微調整をしているスタイリスト達の表情も真剣だ。

「俺も用事を済ませて行くとするか」
「あ?お前の用ってなんだったんだ」

 そういえば来た理由をはぐらかされていたのだ。思い出してもう何度目かわからない眉間に皺を寄せると、一度口元を抑えたカミュが蘭丸に負けないほどの皺を寄せて花を、と口を開く。

「花を、頂いて行くだけだ。心配せずとも寿が使用していたものではない」
「ああ?全部持っていっていいのかよ」
「先ほど寿も言っていたが、全てがそうではない。が、四ノ宮が使用していたものが今回限りらしい。せっかくなのでな」
「・・・へー」

 さっきは嶺二も少し譲ってもらえるような話をしていた。嶺二の肩周りを飾っている百合は茎がほぼない状態のものばかりなので、恐らく今回の撮影で役目は終えるだろう。嶺二はもらってきてくれるだろうか。

「ではな」
「ああ」

 カミュが足早に去ると同時に、カメラのシャッター音が鳴り始め先ほどよりもさらに花を増やした2人がカメラに収められていた。
 2人とも両手にそれぞれ百合とラナンキュラスを抱え、やさしい眼差しをカメラに向け微笑んでいる。
 カメラマンの指示が時折聞こえ、ソファに対して斜めに座った状態から片足だけ上げたり、体をソファに預けて首を傾けたりと微妙な変化をつけているが、それに合わせて表情も変化し、片目を閉じておとどけて見せた次の瞬間にはやわらかく笑んで瞳を細める。微細に、時には大きく、瞬きと同じ速度で表情を変える嶺二は同じプロとして目を放すことは出来ず、また別の意味でも目を離せない、というよりほとんど見惚れるように視線を向けてしまう。

 しばらくするとカメラマンが大きな声を上げて体の向きの変更を促す。
 事前にどんな風にするか聞いていたのだろう、二人は体の向きを変えてソファの真ん中で背中を合わせて片膝を立てて座り、すぐにカメラに顔を向けた。

 少し首を後ろに倒し那月にもたれかかるようにしている様をみて、仕事だと分かっているにも関わらずなんとなく視線をそらしてしまう。同じ舞台を共にしたこともあり以前よりも先輩と後輩として仲が良いのも知っているが、少し安心したように那月に体を預けているからか、あまり見たくないと思ってしまった。
 蘭丸自身、嶺二にとっての安定剤になっていることは知っているが、その役目を自分一人のものしたいとさえ考えていたことにここで漸く気付き、俯いた顔を片手で隠す。

 安定剤どころか、誰よりも興奮剤として作用しかねないのを十二分に判っているのになんてことだ。蘭丸は嶺二の感情が揺れる元凶になりたいのだと願っている。愛情も含めたすべての感情を食い尽くしてしまいたい。嶺二が蘭丸のことしか想えないように。
 醜い感情をさらけ出してしまいたいと衝動にかられる時もあるが、そう思って嶺二に触れた瞬間にそんな考えも吹き飛んでしまうからどうしようもない。

「ちょっと待って!!」

 声に驚いて顔を上げると、いつの間にか那月と再び向かい合うように座っていた嶺二が、慌てて肩を掴んで己を引き寄せようとする那月を引き離そうとしている。

「なっつん!ここは素直に言うこと聞かなくてもいいとこ!」

 相当の力を込めているのだろう、ここからでも震えだしている腕が見える。対して那月は何か言いながら、嶺二の全力をものともせずに顔を嶺二の肩に近づけて行っており、カミュが去ったことで消えていた眉間の皺が、先ほどよりも濃く現れていく。
 カメラマンが何も言わないということは演出の一部なのかもしれないが、気分のいいものではない。

 助けを求める視線が絡んだ瞬間、肩から嶺二の片腕が滑って覆い被さるように那月が抱き付いた。うひゃあとおよそ色っぽくもない、ただしおそらくアイドル『寿嶺二』としては100点なのだろう声が上がって、思わず舌打ちした蘭丸は撮影の中心まで歩み寄った。
 抱き付いていた那月は直ぐに体を起こして、首を傾けている。

「あれー?うまくいきませんでしたね。れいちゃん先輩もう一回」
「ダメ!」

 言葉をいい終えるまえに大声を挙げて、ソファの端まで後ろに下がった嶺二が、那月の肩越しに近づいて来たことを見とめて両手で首もとをシャツで覆い隠すので、蘭丸の気分はさらに悪くなる。
 他のスタッフも蘭丸に気付きだす中、嶺二だけを見て口を開いた。

「何やってんだてめえ」

 自分でも思いのほか低い声が出たな、と内心で驚いた。近づいているのに気付いていなかった那月などは思い切り肩を跳ねさせてからそろそろと肩越しにこちらを振り返ってきたので、相当驚かせたのだろう。
 固定させている視線の先の男は、バツが悪そうに視線をそらしただけだ。那月に理由を聞こうと視線の先を替えた時に、まったく別の方向から声が掛かった。

「あ、黒崎君、良かったら君がつけてあげてくれてもいいかな?」
「つけるって何をですか」
「キスマークです!」
「うわあ!」

 カメラマンに対し、何をと問いかける前に横から楽しげな声と耐えられないと言った声聞こえて蘭丸は納得した。那月がほら!と言って両手を開かせた嶺二の肌には小さな鬱血痕がある。ただ、それは言われれば分かるという程度で、知らない人間が見れば少し赤い線が乗ってしまっただけ。キスマークと呼べるものには程遠い。
 それが、困っているのか笑っているのか微妙な表情を浮かべた嶺二の鎖骨、正確にはくぼみの下あたりにうっすらと存在していることに目をそらして、カメラマンに向き直る。

「なんでキスマークつけることになったんです?嶺二の様子だと、事前に決まっていた訳じゃないっすよね」
「さっきのバラの撮影の時に、花弁をキスマークがわりにしてみたら良かったからさ。ただどっちの花も真っ赤な花びらじゃないし、れいちゃんたちもしばらくは肌を見せるような撮影はないって言ってくれたから、じゃあ本物つけちゃおうってことで。」
「じゃあ、じゃないですよー。こんなの間違って週刊誌に撮られたら謹慎ものですよ」

 まあその時は全力でこの雑誌の宣伝しますけど!と嶺二が頬を膨らましながらおどけて見せると、カメラマンやまわりのスタッフ達が笑う。だか蘭丸は先ほどと変わらず眉間に皺を寄せたまま先ほどカメラマンが言った不穏な言葉を思い出していた。

「那月にもつけるってことか?」
「はい、れいちゃん先輩につけて貰うんです!」
「なっつん、だからぼくまだOK言って無いでしょ」

 着ける予定なのだろうシャツをはだけさせ鎖骨を指差し、にこにこと嬉しそうに蘭丸に報告する那月に嶺二は仕方がなさそうに笑う。
 嶺二自分にはともかく、那月に対しては望まれればつけるつもりなのだろう様子が見れ取れて、てめえがつけるのはこいつにじゃないだろうと再び舌打ちをしてしまう。酷い嫉妬だとは自覚があるが、望み通りに触れられない分、これくらいはいいんじゃないか。そう思ったら口に出すのは早かった。

「こいつら纏めて面倒見てやりましょうか」
「えっ」
「ああ、お願いしていいかい」

 まさか蘭丸がこんなことを了承するとは思っていなかったのだろう、驚いたように声を上げる嶺二と、カメラマンの声はほぼ同時だった。嶺二が驚くのも仕方がない、蘭丸だってできればこんな優男のような真似はしたくはなかった。正直ロックじゃない。が、嶺二以外が乗り気の場面で中止にするわけにもいかない。
 だが先ほどのように嶺二を誰かに触れさせたくないし、それ以上に嶺二が誰かにあんな風に触れるのを見る気はない。
 そんな気持ちなどまったく気づいていない那月は、しばらくぼんやりと蘭丸を見上げていたが、状況を理解するとすぐに笑顔になった。

「わーい、丸ちゃん先輩のキスマークです!」
「だからなっつん少しは疑問に持とう!」
「いいじゃねえかてめえにはもう付いちまってるんだし。おら、那月肩かせ」

 床に散らばった花を踏まないようできるだけ気を付けて歩いていき、準備万端とばかりに左肩を出してきた後輩の肩を掴み体を屈める。着ているジャケットの端を強く引かれたのに気付かないふりをしながら嶺二がつけられていたのと丁度対になる場所に唇を寄せて、一度舌で肌を濡らしてから吸い付いた。
 強めに吸い付くと痛いのか那月の体が震える。離した唇の先でそれと分かる鬱血痕が残ったのを見て、内心でほっとする。勢いでつけるとは言ったが、1度しか経験がなかったので上手くいくかどうかは半々だった。

「こんなもんでいいか」
「えっと、どうでしょう」

 那月に向かって尋ねると、物珍しいものでも見たかのような那月がカメラマンに向かって首を傾けた。那月の白い肌にくっきりと浮かんでいるのを見て満足したのか、彼は何度も頷いて手でOKサインを出す。

「よし、んじゃ次はてめえだ嶺二」
「え、あの」

 振り返って嶺二を見ると、ジャケットの端を掴んだままだった手を放して、これ以上後ろに下がれるわけでもないのに後退り距離をとろうとする。逃がすかと手首を掴むと先ほどのように大仰に悲鳴を上げた。わざとらしく嫌がる様子に蘭丸はあからさまに、大仰にため息をついて見せる。

「すんません、ちょっとコイツ説得してくるんで、連れてっていいですか」
「構わないよ。みんなも一旦休憩にしようか」

 れいちゃんは以外とうぶなんだね、等と言うカメラマンの一言で、コントまがいの事になっていた最中も場に張りつめていたものが抜けた。
 体を起こすと同時に嶺二の腕を強めに引いて立ち上がるように促すが、先ほどの那月以上に状況についていけないのか間抜けな声を上げて腕をほどこうとする。

「嶺二、嫌がってんじゃねえ立て。これも仕事だろ」

 ここまでくれば嶺二もプロだ。つけろと言われれば素直に応じているだろう。なので本当は嫌がっているわけではないことは蘭丸は分かっていた。普段ならこういう役目は嶺二が行っていることだが、今の嶺二は見た目以上に内心が荒れ狂っているだろうから、2人きりになれる言い訳を蘭丸が作っていく。
 口を尖らせ唸りながらも立ち上がった嶺二を、できるだけ面倒くさそうに引っ張って足を動かす。

「ちょ、待って。花が崩れる!」
「ああ?んなもん後で直してもらえ」

 騒がしくする嶺二に言葉を返しながらスタジオを出る。このスタジオは蘭丸自身何度が利用している為、迷わずに楽屋のある場所まで歩いていく。扉の前に『寿嶺二様』と紙に書いてある部屋を見つけて扉を開けると、スタジオから離れた途端無言になっていた嶺二を軽く引いて背中を押し、先に部屋へ入れた。
 蘭丸自身も中に入り、他人の視線と喧騒を扉一枚で隔て鍵を掛けて。横にひねるだけで施錠が完了するそれが静かな室内に響くと、視界に入れていた嶺二の背中が震える。

「嶺二」

 人もいなくなった事なので本音を言ってもらおうかと声を掛けると、背後から覗く耳を朱く染め上げながら首を振るだけで何も言わない。
 これ以上逃げないように片手で肩を抑えてから嶺二の正面に回り込んで俯いている顔を覗き込む。
 周りを飾る白い花がさらにその紅潮した頬を引き立たさせているのにも気付けないのか、顔を背けて花の中へ顔を埋める。

「本当に嫌なら、止めるか?」
「駄目…、違う、違うんだ。ぼく、ランラン以外の人に触られるの、こんなに嫌だと思ったの初めてで。撮影だってわかってるのに狼狽えたりして、ごめん」

 自分のせいで撮影を止めてしまったことと、撮影の為と分かっていても他人に触られるのを嫌だと思った事。二重に軽いショックを受けたのか、ゆるゆると首を振って、那月がつけた痕に触れるチョコレート色の瞳には水の膜が張られている。

「俺に謝んな。それにお前はなんも悪くねえよ」
「なんでだよ。ぼくの我儘で撮影が止まってるんだよ?ぼくが悪い」
「お前が嫌だって思ったのは、俺がいるのが気になってたからだろ。俺がいなかったら順調に終わってただろうよ」

 だから嶺二は、決して嶺二だけが、悪くはないのだ。
 ぽかんと目と口を開けてゆっくり向けてきた顔がらしくなくて思わず笑う。今更のように自分のこころに気が付いた嶺二は、きっと今日の撮影があることを言った事を後悔しているのだろう。苦虫を噛み潰したような顔になっていく様は、この男限定で見ていて気持ちのいいものだった。嶺二のこんな顔は、こころを許されていないとみる事は出来ないから。

「付け直すぞ」
「ま、って。心の準備が、まだ」

 痕に触れていた手を掴んで引き寄せると、途端に視線を彷徨わせ心臓を落ち着かせるように右手を胸に置いて深呼吸をする。
 ただ、仕事でつけるだけの事。それだけの事でこんなにも羞恥を浮かべさせてしまうのは、ひとえにつけるのが自分だからだろう。自然と上がる口角をそのままに、頬の朱色が落ち着いてきたころを見計らって嶺二の鎖骨、薄く線を引く跡のすぐ上まで顔を近づけると、むせ返るような花の香りが蘭丸の鼻腔を満たす。
 那月のこれは消した方がいいだろうと、間違ってずれてしまわないよう指で位置を確認して視線を上げると、困惑顔の嶺二と視線が合う。

「らん、らん」
「ん。まだ駄目か」
「たぶん、大丈夫だけど。心臓の音うるさかったらごめんね?」

 常に綺麗に整えられている眉を寄せ、今にも涙を零しそうな瞳のまま首を傾けられると男の本能が暴れ出しそうになるが、なんとか喉の奥に押し込み逃げ腰になっている背中を抱き寄せた。
 那月がしたことを消すように、はじめにそこをじっくりとなめ上げると撮影で汗をかいたのかわずかに塩のような味が広がる。それに つられて嶺二の体が揺れ宙をさまよっていた両腕が蘭丸の背中を捕まえた。
 今度は自らが味わう為に、少し範囲を広げて舌を這わす。アイドルとして丁寧に整えられた肌はそれだけで反応を示して体を震わせた。
 摺り寄せてきた足をあとで本人が恥ずかしがらないようさりげなく離して皮膚の薄い部分に吸い付いた。

「っ、…ん」

 途端に聞こえてきたくぐもった声に、あくまでもこれは仕事の一環だと強く念じて唇を放さない。代わりに背中を撫でると、今はそれだけでも性感を煽ってしまうのか短く息を吐く声が聞こえ、これ以上は自分がヤバいと唇を放した。肌がさほど白くはないため、那月に対してつけたものよりも痕は濃く痕を残して。
 体を起こしてみると、案の定息を荒くして少し苦しそうにしている。

「大丈夫か」
「だ、だいじょぶ」

 少し吸って、長く吐くという行為を繰り返す嶺二の様子にしばらくはまだ、この先には進めそうにないだろう事実を改めて実感する。無理強いする気はないのでいくらでも待てるが、抱けるようになるまでどのくらいの時間を共有すればいいのか、それまで自分が耐えられるか不安だった。
 落ち着いてきた嶺二はいつもの調子を取り戻し始めているのか、目尻を朱くして蘭丸を見上げる。

「ねえ、なんで、あんな舐め方したの?そのまま吸い付かれるだけかと思ってたのに」
「…あー、悪い」

 頬を膨らませ怒る様子に、どうしたものかと視線を上げた。1度目は独占欲で、2度目は性欲だったと正直に言えば腕の中のいとしいものはしばらく蘭丸を家に呼ぶのを躊躇ってしまうかもしれない。
 素直に謝ると、今度は嶺二の方が驚いたのか大きな目をさらに大きくさせてぱちぱちと目を瞬かせた。その拍子に零れた涙を指先で拭ってやる。

「俺も、こんなにお前がほかのやつに触れられんの嫌だと思ったのは初めてだ。仕事なのにな」
「ランラン」
「戻らねえとな。しっかりついてるぜ?そこ」
「あ、待って。ぼくもちゃんと見たい」

 上書きした痕は朱く色付いていて、しっかりとついている割に紫色にまでなっていない為すぐに消えてしまいそうな危うさもあるが、そもそもがアイドルの肌だ。早く消えるくらいが丁度いい。
 嶺二も備え付けの鏡の前まで行って、ほうっと息を吐いて指先で痕をなぞり、嬉しそうに頬を緩めてその痕を見る。
 一旦撮影が止まって困らせたスタッフや悔やんでいた嶺二には悪いが、自分たちの関係に少しでも進展があった事と、普段は見る事のない顔に満足を感じる。
 ふと視線を上げた嶺二が、鏡越しに自分を見ていることに気付いて首を傾けると、秋色の目が何かを思いついたようにゆうらりと笑った。

「ランラン、ちょっとこっちおいで?」
「あ?早く戻らなくていいのかよ」
「いいからいいから」

 いつもの嶺二だったら断っているところだが、頬を幸せそうに赤く染めたまま手招きをされれば大人しく従うほかない。
 蘭丸に向き直った嶺二と1歩半ほどの距離を開けて立ち止まると、胸に手をあててゆっくりと息を吸って、吐く。

 深呼吸なんてして本当にどうかしたのかと俯く頭のうなじを眺めていたが、ふと視界に入った本物の紅い花弁に視線が上がる。
 嶺二がよく使っている緑のハンカチの上に、こわれもののように鎮座しているそれは先程己が手渡したあの薔薇の花びらなのだろう。
 あんなにわかりやすく大事にして誰かに見られたらどうするんだ、口を開こうとした矢先に、芳香な香りが鼻先を擽り、すぐ傍で髪が靡くのを視界が捉える。
 直後に肌に温かい何かが触れたのに何が起こったのかわからず、眼前にある茶色い髪を茫然と眺めていると吸い付かれたような痛みが胸元に走り屈んでいた体がぱっと離れていく。
 まさかと鏡を見てみると鎖骨の下、嶺二につけた個所とほぼ同じ位置に控えめな、それでも言い逃れできないような痕が蘭丸の白い肌に浮かんでおり言葉を失う。

「ふふーん、お返ししちゃった!」

 赤い顔のまま人差し指で唇を指してウインクを決めても花に囲まれてる状態じゃ決まんねえぞと言いたいが、目の前の事実がそれどころじゃないと音声に代えさせてくれない。何て事をしてくるんだ、この男は。
 思わず離れた体を引き寄せようと腕を伸ばすが、先に後ろに下がられてしまい手は空を切る。

「これでなっつんとぼくとランランおそろい!」
「・・・てめえ」
「いやあ、今ならおふざけで許されるかなって?」

 重ねて出てきた言葉に蘭丸は気持ちのままにその場に蹲った。触れられるのが緊張することも、照れ隠しだということも分かるが、忘れていた、というより気付いていなかった事実に打ちのめされてしまい頭を抱える。いっそもう一つ付け足して嶺二にもつけるように言いたいが、それこそおふざけにならないだろう。
 ふと目の前に影が差し、嶺二が膝を下げて蘭丸と視線を合わせる。少し瞳の奥が揺らいでいる笑顔が、長年一緒にいた勘で次にくる言葉を予想させた。

「ごめんね、嫌だった?」
「んな訳ねえだろ」

 座ってすぐには移動できなくなっているのをいいことに、掴み損ねた腕を手の中に収めて、瞬き一瞬の間だけ思案したのちその腕を引いた。
 ひゅっと息を吸ってバランスを崩した嶺二を抱き寄せて嶺二の額を無理矢理肩に押し当てた。再び花の匂いが鼻につくが嶺二と同じに匂いの中にいるのだと思えば気にならなかった。
 嶺二が自分のせいでまともに蘭丸と抱き合えない事を気にしているのは気付いていた。それでもどうにもならない思考と体は少しづつならしていくしかないだろうと話し合ってはいたが、やはり不安になるのだろう。まともに触れられない自分をいつまで蘭丸が好きでいるのかと。そんな嶺二を馬鹿だと思うし、同時に大切にしてやりたいと思う。

「大体先にこれつけるっつったのは俺なんだからな。そこ忘れてそんなすぐに不安がんな。な?」
 
 言葉だけでは分からない事が手のひらから伝わるように、髪を乱さないようゆっくりと頭を撫でてやると、強張っていた肩から力が抜けた。甘えるように服を掴んできてくれたことが、触れられる距離が短くなったのだと教えてくれる。

「ありがとう、ランラン」

 そう言いたいのは俺の方だ。
 言葉は呑み込んで、蘭丸はスタッフが呼びにくるまで腕の中の男を抱きしめた。