A clown is good at covering it



それは夢の中の誰かに呟いたような、ふわりと浮かんで消えるような声。
どこか茫洋とした視線が宙を彷徨って、琥珀の瞳が誰かを写したのに従ううちに、ゆっくりと俺の視線と合う。
現状の認識が未だ上手くできていないのか、眼が合ってしばらくはぼんやりと見つめていたが、やがて腕を掴んでいた手を離すと同時に、へらりと笑って瞼を落とした。

「・・なん、ちゃって・・・。」















「ブラックホーク全員に、いっぺんに休みがもらえるなんて珍しいねえ。」
「アヤナミ様がいなければまともに仕事をする人間が減ることに気付いたんでしょう。・・・ヒュウガ少佐はアヤナミ様がいても仕事をしてくださらないですがね。」

柔らかく地上を照らす太陽の日が、まもなく中天に差し掛かろうとしている。
月末に大量の仕事を流し込まれ、ただでさえ通常業務だけで手一杯になっていた参謀部は遂に切れた。
切れたと言っても誰かが仕事を垂れ流す上官に殴りかかったわけではない。
各々の体力が切れたのだ。

特にアヤナミは、参謀部全員から気遣われるほどに酷かった。
ただでさえ青い顔色が病的な意味で白くなっており、心配したカツラギが繁忙期明けに上層部を説得して休暇をもぎ取ってきてくれたのだ。

ついでに全員分の連休も申請してくれたお陰で、こうして街中を歩けている。。
ヒュウガとしては皆一緒に休みが取れたのだから揃ってピクニックにでも行きたかったのだが、ヒュウガとコナツ以外はいつの間にか予定を作っていたので、仕方なく二人でのお出かけと相成った。
アヤナミに至っては遠隔地の温泉へ行っているので、誘いようもない。
最も、コナツも渋々とついてきてくれている、と言った様子だけれど。


「もっと早く誘っておけばなあ・・」
「誘っても、断られたんじゃないですか?少佐ですし」
「何その棘のある言い方ー」


休みの日のお出かけなんですから軍服はやめてくれと泣きつかれた結果の、カーゴパンツに白のシャツという姿で膨れ顔を見せるが、コナツは嫌そうな顔をするばかりだ。
いや、嫌そうな顔はいつもどおりか。
面倒だからと適当に着てきたせいか、コナツからの評価は「野暮ったい」だった。
そういうコナツの服装はなんだか派手だね、と言ったら、無言で殴られた。


「今日の服えらく気合入ってるように見えるけど、もしかしてこのあとデート?」


興味本位で首を傾げて下斜め横を見る。派手だと言ってはみたが、他のコナツと同年の青年と比べて派手ということはない。
ただ前に見た時は妙に地味…というよりお洒落を知らないといった格好をしていたのだが、どこで覚えたのかえらく流行りに乗った服装をしている。


「デートする相手がいたら少佐と買い物になんて来てません。」
「ですよねえ。」


普段からこういう時の切れ味はかなり良い方だが、今日のコナツは一段とハッキリしている。
服装を茶化した事で怒っているのだろうかと思ってしまいそうな程だが、声のトーンは別段怒っているわけではない。
むしろ、別のことに気を取られている所為で、思ったことをそのまま言ってしまっている感じがする。

デートする相手はいないが、気になる相手はいるのかもしれない。
服装が変化する時は大抵、男女変わらず恋愛が理由の時が大きい。
コナツの心を射止めた相手はどんな人なのだろうと、やたらと動いていたコナツの視線がある一点で止まったのを見て、ヒュウガはその視線の先を追った。


「あれ?テイト君と・・・ミカゲ君?」


コナツが覗く店の中、見知った影を見つけて思わず足が止まる。
彼らもまた私服で、テイトはクロップドパンツにチェックのシャツを着ていて、ミカゲは薄手のパーカーにジーンズ。2人で色違いのボディバックをそれぞれ肩に掛けていた。ペアルックならぬ、ペアバックである。
2人共後ろを向いて、何やら商品を物色していた。


「ミカゲ君も休みだったのか、やっぱりピクニック早めに誘っておけばよかった。」


彼も来てくれたらきっと楽しかっただろうに、そう思うとため息が出る。
テイトに会いに時々参謀部に訪れる彼を、参謀部全員がことのほか気に入っていた。
自分たちに臆せず話しかけてくるからというのもあるが、何より人柄がそうさせたのだろう。

ブラックホーク以外には心を開かないアヤナミも、ミカゲに対しては表情を和らげていたし、多少なりとも好意は持っていたのだろう。
一緒に遊べるのなら、温泉に行くよりも大分体調も良くなったのではないだろうか。
そんな事を言ってみるとコナツが意外そうな顔で見上げてきたので、ヒュウガは何か妙なことを言ったろうかと目を瞬かせた。


「少佐、ご存知ないのですか?」
「何を?」


問い返してみると丸くなっていた目の輪郭がさらに大きくなった。
小さくうそだと呟く声が聞こえて余計に判らなくなる。
話の流れからするとアヤナミとミカゲの事だろうか。
体調が悪くなったのは仕事量のせいだけではないとは思っていたが、まさかミカゲが関係しているとは。

何があったのか気になるが、立ち止まったのは道のど真ん中だ。
立ち話は迷惑だろうとコナツの肩に触れて端に誘導しようと口を開いたところで、聞き慣れた声に名前を呼ばれた。


「ヒュウガ少佐!コナツ先輩!」


顔を上げると先程の店の出口で、ミカゲが片手を上げてこちらに手を振っていた。
心の底から嬉しそうに笑みを崩す姿は流石テイトに光だと形容されるだけあって、影を持つ人間には少し眩しい。
つられるように笑い返して、少しだけ片手を上げて応えるとミカゲは手を下げてこちらに小走りで近寄ってきた。
テイトはその後ろで少し不服そうにしており、ちらりと横目で見たコナツは少し嬉しそうにしている。


「やほーミカゲ君、君たちもお買い物?」
「はい!って事は、少佐達も買い物ですか?」
「んーまあ、そんなとこ。」


出かけようと提案したヒュウガに、買い物に行きたいとこの場所を指定してきたのはコナツの方だ。
ショッピングなんてほとんど興味のないコナツが言い出したので珍しいとは思っていたが、思わぬところにコナツの「気になる相手」に気づいてしまいどうしたら良いのか判らず思わず頬を掻く。
そんなことをしている間に後ろからついてきたテイトがミカゲの片腕に抱きついてきて、隠そうともしない敵意をヒュウガに向けてくる。


「そんなとこってどういう意味ですか?もしかしてデートとか。」
「違いますっ。なんで私と少佐がデートしないといけないんですか!」


応戦したのはコナツだった。
さらりと酷いことを言われたような気がしたが、確かにデートではないしコナツも勘違いされたくないと必死なのだろう。
やたらと力の入った返しに二人共驚いていた。
周りを歩いていた人にも少しだけこちらに目線を向けている人間がいて、隣にいる青年は罰が悪そうに蜂蜜色の髪を揺らす。


「コナツが最近お洒落に目覚めたみたいでねー。新しい服が欲しいんだって。」
「あっそうなんですか!力いっぱい言うんで吃驚しました。」


そういって胸をなで下ろす姿に安堵すると、斜め前方と横から強い視線を感じた。
何故自分はミカゲと話しているだけでこんなにも敵意を向けられるんだろうか。
別に普段通り仲良く話しているだけの筈なんだけれどと思って、漸く二人が視線を向ける意味に気付いた。


「そうだ、どうせなら三人で買い物行っといで。」


景気のいい音を立てて両手を合わせると、二人は驚いたように、一人は若干嫌そうに声を上げた。
今までふたりきりで入れたのに邪魔者を入れるのが嫌なのだろうけど、自分にできる『三人が楽しめる方法』なんてこのくらいだ。


「俺に見てもらうより年齢の近い二人に見てもらったほうがいいでしょ。若い子の流行とかわからないし。二人がいいならコナツも入れてあげてほしいな。」
「オレはいいですけど、ヒュウガ少佐はどうするんですか。」
「特にほしいものも無いし、少しぶらぶらして帰るよ。」


そう言ってヒュウガは一歩後ろに下がった。あまり長居しては三人が気にするだろう。


「じゃーね、楽しんでおいで。」


手を振って2、3歩下がると、三者三様の顔で見上げる後輩たちに笑顔を向け、踵を返した。
後手に左手を振ったまま、いつもより少しだけ早い速度で三人から離れる。
これでいい。
きっと三人は楽しく買い物をしてホーブルグ要塞に戻ってくるだろう。
新しい服を買ったなら今度どんな服を買ったか教えてもらおう。
三人が行くのならきっと若者向けのお店だし、自分はそういう店は苦手だ。
何より大人一人混じっていたらたまらなく違和感があるから。

全部言い訳だ。


「少佐!」


不意に腕を掴まれて動きが静止する。かくんと形容詞が付きそうなほど急に止められて思わずたたらを踏んだ。
右手に感じる熱に振り向くと、若草色の頭が膝に手をついて息を切らしていた。


「歩くの早…っ!」
「ミカゲ君?どしたの。」
「どう、したって。」


首を傾けていると首だけを上げた格好でヒュウガを見上げる。
眉尻を下げて見上げてくるので、少し屈んで体を起こしたミカゲと視線を合わせた。
掌が頭を撫でてしまうのは何時もクロユリやコナツにしてしまう習慣のせいだ。
見上げるミカゲは可愛かったけれども、断じてそれが理由でついやってしまったわけではない。
ミカゲは相変わらず困ったような顔をしている。
もしかして突発的に追いかけさせてしまったのだろうか。

ふと後ろに視線を投げると慌ててこちらに寄ってくる二人が見えた。
きっとミカゲを追いかけてきたんだろう。
少しだけ唸って、口を開く。


「このまま君をさらってもいいかな。」


掴まれている腕を少しだけ引いて耳を寄せ、ミカゲの顔を見ないままに問いかける。
顔を見てしまったら、見られてしまったら、ついさっきまでは閉じ込めていた己の醜い独占欲を見ぬかれてしまいそうだ。
むしろ台詞が大分恥ずかしい気がするが、普段ならこのくらいにはツッコミを入れているミカゲが何も言わないので黙っておく。

少しだけ掴まれた腕が痛んだ。
まだ若いとはいえ流石に軍人を目指していると言ったほうがいいんだろうか。
視線を投げかけると意味を測りかねているのか、まだ困った顔をしていた。
醜い大人の目の前で、そんな顔しちゃ駄目だってば。

ふいにミカゲが頬を赤くして視線を逸らす。
はて何でだろうと思ったがいつの間にか頬が緩んでいたらしく、自身が笑っているのに気づいて理由はこれかと思い至る。
腕を離さない上にこの反応だと、嫌なわけではないだろう。
二人に遠慮して身を引いたが、ヒュウガとてミカゲを独占したくないわけでは無い。


「どうする?」


再度腕を引いて答えを促してみたが、ヒュウガの中では既に決まっていた。今日はもうこの掴んだ腕を離す気はない。
だからミカゲが頷いた時思ったのは、無理に連れて行くことにならずに済んだということだけだった。
ゆっくりと笑みを作る。だけど動作は機敏に。
ミカゲを抱え上げて驚いた形相をする二人を一瞥すると、軽くウインクを飛ばして走りだした。



可愛らしい外観を模した大きなケーキ屋さんの3つ隣に、そのケーキを数種取り寄せて年長者にも入りやすい喫茶店が併設されていることは意外と知られていない。
その店のオーナーの意向で雑誌やケーキ屋で取り上げらるのを控えているかららしいというのは何度か通ってから常連の人間に聞いた話だ。あまり若い人に大勢で来てもらうのは好かないとの事。
もちろん少数なら問題なし。
落ち着いた店の雰囲気に合う音楽が流れる中、一番奥の席に座ってミカゲがやっと落ち着いたように息を吐いた。


「ごめんね?吃驚させたよねえ。」
「吃驚しましたけど・・・それ以上に周りの目が恥ずかしかったです。」


向かい合うように座ってみると、さっきと同じように若干頬をそめたまま、メニューを立てかけて顔を隠してしまったのでヒュウガが肩を竦めてみせた。


「抱えて走った方が速かったからねえ。ミカゲ君が遅いわけじゃないんだけど、コナツやテイト君相手に追いかけられたらなかなか距離を離せそうになかったから。・・・それに、顔が怖かったからねえ。」
「顔?」
「ごめん、こっちの話。」


からかった時に見せた二人の表情を思い出してミカゲがそれを見ていなかった様子に安心する。
鬼と化した親友と先輩なんて見たくないだろうしこちらとしても見せたくはない。休み明けに見る可能性は今のところ考えないようにしておく。
あの様子から察するに、やはり二人共にミカゲに対して友人の枠を超えた好意を持っているらしい。もしかしたらアヤナミもそういう意味の好意を持っていたんだろうか。そしてそれをミカゲに告げて、断られたのだとしたら。


「それよりミカゲ君、注文はもう決まった?」


指でかるくメニュー表を倒してみると、首を傾けてこちらを見ていた目と視線が絡む。すぐにほわりと目を見開いて、見上げる姿が可愛らしい。
ミカゲはすぐさま頬を染めると、視線をはずしてためらうように口を開いた。


「あの、まだ・・・。なかなか一つに絞れなくて。」
「これお勧めだよー。このケーキのセット」
「あっ、じゃあそれで!


示したものを自分の分も含めて2つ頼み、メニューを横に避ける。
黙りこんでしまったミカゲに首を傾けて思ったことを口にしてみた。
「そう言えば、テイト君との買い物は良かったの?邪魔して俺が言うことじゃないけど。」
邪魔というか強奪したと言うべきか。問いかけてみるとテーブルを見ていた視線が上がってヒュウガよりも大きな目を何度か瞬かせた。良かったのかという意味を測りかねているらしい。


「欲しい物とかあったんじゃないかなーと。なんならここ出てから行ってもいいよ。」
「あ、大丈夫です。今日は特に買いたいものがあったわけじゃなくて、テイトが二人で出かけたいって言ってきたんで。」
「へー、二人で。」


それはテイト君からしたらデートのつもりだったんじゃないかな。喉から出かかった言葉を水と共に飲み下す。
否、確実にデートのつもりだったんだろう。相手にはこれっぽっちも気付かれてないようだが。


「本当はブラックホークの人達皆休みだって聞いてたんで、シュリやコナツさんも誘いたかったんですけど、前にテイトに内緒でコナツさんと買い物行ったのが相当気に食わなかったみたいでどうしても嫌だって言われたんですよね。」
「コナツとも買い物行ってたの。」
「テイトには絶対に言わないでくれって言われてたんですけど、結局バレちゃって後が大変でした。今日コナツさんが来てた服、確かその時に買ったものでしたよ。」


なる程、だからいつもと大分毛色の違う服装だったわけだ。ミカゲに選んでもらった服で、二人で出かけることをテイトに自慢されたのかして知って、俺と一緒に邪魔をしようとしたんだろう。
コナツにしては妙に回りくどい方法を取っている気がするが、ヒュウガはコナツがどんなふうに好きな相手にアプローチするのかなんて知らない。あくまで彼の性格らしくないと思っただけで、もしかしたらこういう時には周りから固めていこうとするタイプなのかも。
水を飲みながら思案していると、あっという間になくなってしまった。頼んだケーキセットには紅茶かコーヒーをがついてくるので、別に今店員に頼まなくてもいいだろうとコップを置くと、ミカゲがじっとヒュウガを見つめてくる。


「どしたの。」
「いや、その、少佐の私服姿、初めて見たなと思いまして。」


問いかけるとすっと視線を外す。そう言えば今日はかなり適当に選んで来てしまったと今更思い出して少し後悔する。ミカゲ達と会うと判っていればもう少しましな服にしてきたのだが、どうしてこうも間が悪いのだろう。靴がサンダルじゃなかっただけ、まだマシだろうか。


「ごめんねー、こんなムサイ格好してて。」
「えっいや全然そんなことないです!むしろ身長あるから似合ってて格好いいと思い、ます。」
「そう?」


嬉しくて声を弾ませるとミカゲはあらぬ方向を見たまま頷いた。テイトがミカゲは結構恥ずかしい台詞もよく言ってくるような話をクロユリ等に言っていた気がするのだが、そういうのは友人限定なのかしらと思うほどヒュウガに対しては気恥ずかしそうにするのだ。
テイトやコナツからの好意に気づいてないあたり、ヒュウガからのそれも気づいてはいないと思うのだが、やはりそれなりに年上の相手とは素で話すことができないのだろう。まあ、上司でもあるし。
言っている間にケーキと飲み物が運ばれてきたので、二人共黙りこむ。
生クリームの添えられたガトーショコラに、ヒュウガの前にはアイスコーヒー、ミカゲにはレモンティーが置かれた。
品の良い店員が去って行くと、ミカゲが早速ケーキに手をつけた。
一口目を口に入れてすぐに顔が緩んだのを見て、どうやら口にあったようだとヒュウガも自分のケーキを食べ始める。


「少佐は良くこの店に来るんですか?」


ケーキのおかげだろうか、先程よりはいくぶんか緊張の抜けた声で問いかけてきた。この店に入ってから初めてのミカゲからの会話に、ケーキが運ばれてきた時よりも嬉しくなる。


「俺からしたら良く来る方かな。って言っても、月に1、2回くらいだけど。」


それでも普段、ケーキやお菓子類は買って帰ることが多いヒュウガからしてみれば、店で食べることは稀だ。そういう意味では良く利用している方だろう。勿論、元のケーキ屋で買って帰るだけの時もあるが。


「普段は一人で来るから、誰かと街に来た時は来ないしねー。」
「え、じゃあオレがはじめてなんですか。」
「そうだよ。ミカゲ君が初めて。」


何時ものボキャブラリーが少ない代わりに、今日のミカゲは可愛らしかった。フォークを加えたまま嬉しそうに頬を紅潮させていく様など、とてもテイト達には見せられたものではない。
でもそれは相手が自分でも同じか、と少し大きめに切った一切れを口に運ぶ

暫くはそんな多愛のない話が続く。他の美味しいお店の話、趣味の話。ミカゲの自慢の家族のことも聞きたかったけれど、自分の血族の事はあまり楽しい話ではないので自重していると、ミカゲの方からぽろりぽろりと話しだした。
執事をしている兄のこと、可愛くて仕方がない妹のこと、小生意気だが大事そうに話す弟のこと。
ヒュウガの家族については何も触れなかった。テイトの過去のこともあってだろうが、おそらくその辺りは自分から聞くことではないと理解しているのだろう。自分という人間を理解してもらえれば、いずれ相手からも話をしてくれると。
だからヒュウガは、自分と同じ血を持つ人達の代わりにブラックホークの話をした。アヤナミやコナツとの出会いや、クロユリとハルセのつながりのこと。


「少佐にとっては、ブラックホークの皆さんが家族なんですね。」
「うん、そうだね。」


本当の家族の事なんて覚えちゃいないしね。
その言葉をあえて飲み込んだのは、今その話をしてミカゲに悲しい顔をさせたくなかったからだ。ヒュウガ自身はまったく気にならないことではあるが、こういう話は、痛みに慣れることが出来無い優しい人には、気軽に話せることではない。
ふと気づくと、ミカゲが何か問いかけようか迷っている顔で自分を見ているのに気づき、わざとらしく首を傾げてみた。


「いや、あの、特に聞きたいことがあるとかじゃなくてですね。」


ほわりと頬を染め、懸命に両手を降り弁明すると、落ち着きなくテーブルの上に視界を彷徨わせてしまう。
自分からすればあのワンリアクションで言いたいことを理解してくれた事を褒めたいのだけれど、まだ続きもあるようなので黙ってケーキを一切れ口に入れる。


「ただ、クリスマスとか、ハロウィンの時とかも、ブラックホークのみなさんだけで楽しんでるイベントによく混ざっちゃってるんで。少佐にとっては家族だけで楽しんでるイベントに混ぜてもらっててすごく嬉しくて。この間もオレが家に帰れないからって誕生日の時に、祝ってもらって、あの、ありがとうございます。」
「――っ。」


だから何でそんなに恥ずかしそうに笑ってそういうことを言うの。
そう声に出しそうになって開きかけた口を無理矢理閉じる。意識しすぎているんだろうか、ミカゲの行動一つ一つが、テイトやコナツへの好意とは別の物をヒュウガに向けている気がする。
あるいはそれは年上の上司に対してだからなのかもしれない。憧れてくれているのだろうか、とつい思ってしまう。


「ミカゲ君、あんまりそういう顔は人に見せないほうがいいよー。」
「そういう顔、って?」
「そう、恥ずかしそうにしてる顔。相手の人が勘違いしちゃうよ?」


笑いながらそう言って指摘すると、ミカゲの顔が更に赤くなって顔が完全に下をむいてしまった。
ああ、自滅してしまったかもしれない。そんな顔をされてはこちらの抑えている感情が揺れてしまう。
一石を投じられた湖のように、凪いだ湖面が揺れていく。


「…誕生日っていえばさ。」


そっと息をつくのと同時に、ヒュウガはつい先程の会話の流れで思い出したように呟やく。


「あの時、テイト君やミカゲ君、遊び疲れて参謀室で寝ちゃってたよね。あの時の二人可愛いかったなあ写真取っておけば良かった。」
「写真取られてなくてよかった!」


下を向いたままそれでも反応してくるので思わず笑いが漏れる。
でも本当に言いたい事はそれではなくて。


「ミカゲ君は覚えてないかもしれないけど、あの時俺がミカゲ君のこと部屋まで運んだんだよ。」
「そう、なんですか。」
「そうなんだよー」


知っていたのか知らなかったのか判らない曖昧な返事に、肘を着いて少しだけミカゲとの距離を縮めた。
「その時ミカゲ君、好きな人の夢でも見てたの?そんな感じの事呟いてたけど。」
つむじばかり向けてくる頭が揺れた。だが、返事はない。
ケーキを既に食べ終えたヒュウガは生クリームが少し残った皿をずらして、テーブル越しにミカゲの顔をのぞき込んで、薄い膜が貼ったように瞳を濡らしているのに気づき目を見張った。
泣かせてしまいたくはないと腕を伸ばしてそっと頬に触れた。普段手袋ごしに触れているせいか、柔らかく暖かな感触に妙に緊張してしまう。


「言いたくないなら、言わなくてもいいからね。」


するりと口に出した言葉に、ああ、また自分は駄目だなと心の中で嘆息する。
大切な人が出来ると、相手が嫌がることをしたくなくて一歩が踏み込め無くなってしまう。


「言いたいくないわけじゃないんです。ただ…。」


不意にミカゲが口を開いて、まだ顔は赤く色づいたままこちらを見上げた。唇を噛んでいたのだろうか、紅を引いたような唇に目を奪われる。だが次の瞬間、言われた言葉に現実に引き戻される。


「誕生日の日、オレ、参謀長官に好きだって、告白されたんです。」
「えっ。」


まさかの出来事に一瞬思考が止まる。ヒュウガが多少だと思っていたアヤナミの想いは思っていたよりも大きかったらしい。さっきまで自分はコナツの気持ちにも気づいていなかったことといい、洞察力に優れている割に恋愛方向には疎いと昔から言われていたが、今もそれは健在らしい。


「それは、アヤたん大胆な事するねえ。」


暫くして漸く戻ってきた現実に、思わずそんなことを言ってしまう。
告白の返事は、その後の事を考えれば直ぐに判った。アヤナミの体調が悪くなり始めたのも確かにその辺りからだった。


「オレも吃驚しました。そういう事をする人には思えなかったので。行動力のある人だから参謀長官にまでなれたのかもしれませんが。」


お断りする時、本当に申し訳なかったですと自嘲するように口の端を少し上げて、ミカゲは両手で、ヒュウガの手を包んだ。行き場のなくなっていたヒュウガの手はそれだけで身動きができなくなってしまう。
掌からミカゲの緊張が伝わってきて、こちらにまで頬の赤みが映ってしまいそうだと思った。


「なんで、断ったの。」
「参謀長官の事をそんな気持ちで見ていたわけではないので。あの方は尊敬していますが、でもそれだけなんです。恋愛感情はありません。」


はっきりと言い切った後、ミカゲは押しだまってヒュウガの手を見つめた。
空調が効いて心地良い筈の店内で、掴まれた手だけが焼けるように熱い。
そのアヤたんの話と好きな人の話がどうつながるのか。気づかない程鈍い神経をしている訳じゃないし、鈍くてもこの状況ならわかるだろう。
だけど、それを聞いてしまっていいのだろうか。
聞いて自分はどうするつもりなのだろうか。
テイト達からミカゲを引き離した時、今日はこの腕を放したくないと思ったと同時に、今日だけの我侭でいようと思ったのも事実だ。
誕生日の時の話なんて、聞かなければ良かった。最初はこんな話しようとなんて思っていなかったのだから、ミカゲの気持ちに「もしかして」なんて思わず、黙っていれば良かったんだ。
じんわりと、テーブルに置いたままの握り拳から汗が滲む。


「少佐、迷ってるんですね。」


知らない間に視線を外していたらしく、テーブルから慌てて視線を話すと困ったように笑いながらミカゲが視線を上げていた。
内心の動揺を隠すように笑ってみたが、ヒュウガには隠しきれている自身がない。


「俺は迷ってなんかないよ。」
「それは、参謀長官の話を聞くまででしょう。今は迷ってる。」


掠れ気味の声に、かける言葉を見失う。あの時、テイトたちに返す事だってできたんたんだと。
誰にも気付かれないように静かに蓋を閉じて、置いておこうと思っていたのに、欲を出してしまったばっかりに一番気付かれてはいけない子に気付かれてしまった。


「オレ、少佐のことが好きです。」


さっきまで恥ずかしがっていたり慌てていたりしていた筈の目の前の少年は、いつの間にか探るような、しかし真っ直ぐな瞳でヒュウガを見上げる。


「アヤナミ様との事を話したら、きっと少佐は引いてしまうだろうとは思いました。でも、何も言わないで、少佐が何も知らないままで気持ちを伝えて、後で後悔されたくないから、あった事は伝えなきゃって思ったんです。」


店内には僅かな音量のBGMが流れていて、一度止められた言葉の合間にヒュウガの耳に入ってきた。普段ならこの音を聞いて落ち着いている筈なのだが、今日に限ってその効用を発揮してくれない。


「オレがあの日、少佐に抱かれながら見ていたのは、少佐に告白している夢でした。」





「好き、です」

それは夢の中のあの人に言ったつもりだった。
なのにぼんやりと開けた瞳の先に、夢の中に居た人とまったく同一の人がいて。
最初は夢のつづきだろうかと見つめているうちに、自分がその人の腕を握り締めている感触に現実だと知る。

「・・なん、ちゃって・・・。」

固まる表情を無理矢理動かして、ゆるりと手を放した。
その言葉は、本人には言っちゃいけないような気がしたから。






「少佐の中で、参謀長官は誰よりも大切な人なんだと思います。それをオレはずっと恋愛感情からなのかまったく違うものなのかわかりませんでした。でも、気付いたんです、オレ。あなたのオレを見る目が、他の人と違うって。」


言葉を止めてじっと見上げる濃い紅茶色の瞳に軽い目眩を覚えてその幻惑を断ち切るために一度強く目をつぶった。
このまま目を開けないほうがいいんじゃないかと思いながら。
それでも、瞼を上げてさっきと変わらずにいる少年に目を向ける。


「何が言いたいの?」


笑って問い返すと今度は挑むように眉間に皺を作ってきた。自分でもあきれてしまうがまだ自分は認めようとしないらしい。
本当は、痛いほどわかってるのに。


「少佐は、オレに恋愛感情を持ってる。でも、参謀長官が、オレに恋してると知って、今はぐらついている。違いますか。」


そうだ、自分は今迷っている。否、通常なら迷わず自分よりもアヤナミの幸せを優先している。だけれど、これだけ迷っているということはアヤナミにすらこの少年を取られたくなかったということか。ヒュウガには、自分でその自信が持てない。


「…少佐はきっと、身近にいる人が幸せになれば自分はそこまでの幸せを手に入れなくても構わないと思っているんでしょう。でもオレは、オレの大事な人たちにも幸せになって欲しいけど、自分も幸せになりたいです。でなければ、他人の幸せを恨んでしまうかもしれない。俺ね、今日少佐とコナツさんが一緒にいてるの見て、すごく羨ましかったんです」
「え?」


肝が据わったからなのか、ミカゲはふと笑うと突然彼らしくない言葉を言い放った。羨ましいって、だれが?
瞬きをする間に頭の中の整理がついてくれれば良かったが、残念ながら今日に限ってヒュウガの頭脳は仕事をしてくれる気がない。仕事が休みなのだから当然と言えば当然か。
ミカゲ本人に自覚はないのだろうが、ヒュウガは確実に追い詰められていた


「オレはあなたがほんの気まぐれでさらってきたとは思えないから聞くんですけど、少佐ももしかして、テイトが羨ましかったりしたんですか?」


身を乗り出してきたミカゲが肘をついて下から見上げてきた。笑っている顔からは興味津々といった様子がありありと見える。ほんとうにただの興味本位で言っているのは分かっているけれど、少しからかわれているように感じてしまう。
これを計算でやっているのなら案外頭の回る子なのだと思うが、おそらく天然でやっているのだから恐ろしい子だ。
ヒュウガは自分の中で何かが変わる音を聞いた。


「そうだって言ったら、どうする」


低い声を作って、開いた握り拳でミカゲの腕をとる。軽く引けば自分の口元まで簡単にやってきた指先。驚いて見開いた目を見つめて、唇で指先に触れてやった。
わざとゆっくりと押し付けるようにして、音を立てて放す。反応を伺っていると、何かを言いたげに数回口を動かした後、一気に顔を赤く染めてしまって心の端であっやっちゃったと頭を抱える自分がいる。
でも今すごく気分がいい。


「ねえ、攫ってもいいのかな」


君の心を。そう言って指先に頬を摺り寄せる。流石に店の中で顔を近づけるわけにもいかないのでこれが限度。耳まで赤くして壁に視線をやったミカゲは、ヒュウガが突然吹っ切れるなんて思わなかったのだろうか。
しばらく壁に向かってにらみつけるような視線を向けたあと、ミカゲがぽつりと言った。


「…その前に、言うことがあるでしょう」


懇願する声に、思わず顔を緩ませる。そうだねもっと、誰にでもわかりやすく。


「好きだよ。ミカゲ君」


でも覚悟してね?
道化の面をはがしたからには、本気で行くから。